アンゴラ国旗 アフリカの共和国がソ連とそっくりの国旗の理由
アフリカ南部にあるアンゴラ共和国の国旗は、赤と黒というこれまたアフリカっぽい色彩のデザインです。
中央のマークは、どこかの国に似てるな~と思いました。
その国とは・・・今は消えてしまったあの国でした。
んん?
・・・
思い出しました!
1991年まで存在した国家、ソ連とそっくりです!
では、ソ連の左上のマークはどんな意味でしょうか?
実はこれ、鎌と槌(つち、すなわちハンマー)を組み合わせたものです。
鎌が農民、槌が主に工員といった労働者たちの団結を表しています。
この鎌とハンマーのマークは、はソ連の国旗に限らず、ソ連時代の国々の国旗にもあります。
ウクライナ(ソ連)
アルメニア(ソ連)
1961年~1974年にかけてのアンゴラ独立戦争を経て独立しましたが、この経緯がややこしいのです。
アンゴラ独立戦争当時、3つの勢力が存在しました。
政党といっていいのか武装組織といっていいのか表現にとても困る勢力です。
①アンゴラ解放人民運動(以下MPLA)
・・・アンゴラ共産党らが前身です。
②アンゴラ民族解放戦線(以下FNLA)
・・・コンゴ族を中心に結成されたコンゴ王国復興を目的に結成された組織が前身です。
③アンゴラ全面独立民族運動(以下UNITA)
・・・コンゴ族を優遇したFNLAから分裂した組織です。
ポルトガルは1975年にこれら3派とそれぞれ停戦協定を結びました。
そして同年11月にアンゴラの独立を認め、暫定政府をつくるというアルヴォ―合意が成立しました。
この合意は独立戦争こそ終わりましたが、複数民族の派閥などによってすぐに崩壊しました。
そんな中で、MPLAは首都ルワンダを防衛してアンゴラ人民共和国の独立を宣言しました。
この時点で、武器弾薬などをソ連から支援されていたかは定かではありません。
後述しますが、もし支援が当時あったとしてもソ連よりはキューバの可能性の方があるかもしれません。
ソ連の「鎌と槌」に対し、アンゴラは「鉈(なた)と歯車」を意味します。
もちろんソ連に似せたもので、社会主義の象徴とされています。
ただし!実は2003年に新しいデザインの国旗が提案させたそうですが、まだ承認されていません。
どんなデザインなのか調べてみましたが、漫画チックなものしか見つけていません。
画像:もしかしたら国旗が変わる? | タディの国旗の世界
これがまた混乱する原因といえます。
MPLA: キューバと東ドイツ(軍事面)、ソ連(経済面)
FNLA: フランスとザイール
UNITA: アメリカと南アフリカ
アンゴラ独立宣言をしたのがMPLA主導ということもあって、FNLAとUNITAが反MPLAで同盟を結びました。
当時は米ソ冷戦時代でした。
アンゴラ内戦は米ソの代理戦争のような一面もありました。
武器を売りたいがために生かさず殺さず的に内戦を長引かせようという意図もあったのかもしれません。
ソ連とキューバの支援を受けていたMPLAは、1976年に一度はFNLAとUNITAの拠点を陥落させました。
その後社会主義政策を推進します。
カビンダ飛地の石油など産業の国有化政策を行ないました。
更にFNLAを支援していたフランス及びザイールと国交を正常化したため、FNLAは1980年代には弱体化します。
一方、UNITAはゲリラ化し、一時は勢力を拡大して内戦は泥沼化します。
しかし支援国のキューバと南アフリカは、1988年に南アフリカ軍がアンゴラとキューバの連合軍に敗北したのをきっかけに交渉してお互いに条件付きで撤退しました。
このころ東西冷戦が大きく変わっていて、ついに1991年にソ連が崩壊しました。
それと前後して1990年にMPLAは社会主義路線を放棄して、翌年に複数政党制となります。
さらに1992年には憲法改正を行って、国名をアンゴラ共和国に変更しました。
この時点で支援とは違った形でソ連がアンゴラの政権に影響を与えたとも見受けられました。
この頃、なんとポルトガルが仲介してMPLAとUNITAが和平協定に調印しました。
その後もまた内戦になったり、1994年には南アフリカのネルソン・マンデラ大統領によって和平協定を進めたり、国連の仲介でルスカ合意が締結された・・・と思ったら密輸ダイヤモンドをめぐって再び紛争になったり。
こんな感じでアンゴラ政府(実質MLPA)とUNITAは、何度も紛争と停戦を繰り返しました。
そして、ようやく27年にもおよぶ内戦に終わりを告げる時が来ました。
UNITAのトップのサヴィンヒ議長が戦死したのです。
ただこれは暗殺ではないかとも言われています。
そのため、内戦終結後は経済は良い方向へ向かっています。
なまじ豊富な資源があるために政治の腐敗の心配と、全土に埋まっているおびただしい数の地雷の撤去が課題となっています。
MPLA、UNITA、FNLAはそれぞれ政党として現在も存在しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97
片山正人『現代アフリカの悲劇』
中央のマークは、どこかの国に似てるな~と思いました。
その国とは・・・今は消えてしまったあの国でした。
執筆:世界史好きのittetsu
アンゴラ国旗の中央のマークと似ているのは?
まず、国旗の画像です。んん?
・・・
思い出しました!
1991年まで存在した国家、ソ連とそっくりです!
では、ソ連の左上のマークはどんな意味でしょうか?
実はこれ、鎌と槌(つち、すなわちハンマー)を組み合わせたものです。
鎌が農民、槌が主に工員といった労働者たちの団結を表しています。
この鎌とハンマーのマークは、はソ連の国旗に限らず、ソ連時代の国々の国旗にもあります。
ウクライナ(ソ連)
アルメニア(ソ連)
アンゴラ独立にソ連が関係しているのか?
アンゴラは、昔ポルトガルの植民地でした。1961年~1974年にかけてのアンゴラ独立戦争を経て独立しましたが、この経緯がややこしいのです。
アンゴラ独立戦争当時、3つの勢力が存在しました。
政党といっていいのか武装組織といっていいのか表現にとても困る勢力です。
①アンゴラ解放人民運動(以下MPLA)
・・・アンゴラ共産党らが前身です。
②アンゴラ民族解放戦線(以下FNLA)
・・・コンゴ族を中心に結成されたコンゴ王国復興を目的に結成された組織が前身です。
③アンゴラ全面独立民族運動(以下UNITA)
・・・コンゴ族を優遇したFNLAから分裂した組織です。
ポルトガルは1975年にこれら3派とそれぞれ停戦協定を結びました。
そして同年11月にアンゴラの独立を認め、暫定政府をつくるというアルヴォ―合意が成立しました。
この合意は独立戦争こそ終わりましたが、複数民族の派閥などによってすぐに崩壊しました。
そんな中で、MPLAは首都ルワンダを防衛してアンゴラ人民共和国の独立を宣言しました。
この時点で、武器弾薬などをソ連から支援されていたかは定かではありません。
後述しますが、もし支援が当時あったとしてもソ連よりはキューバの可能性の方があるかもしれません。
アンゴラ国旗のマークの意味は?
では、アンゴラ国旗のマークは何を意味するかと言いますと・・・ソ連の「鎌と槌」に対し、アンゴラは「鉈(なた)と歯車」を意味します。
もちろんソ連に似せたもので、社会主義の象徴とされています。
ただし!実は2003年に新しいデザインの国旗が提案させたそうですが、まだ承認されていません。
どんなデザインなのか調べてみましたが、漫画チックなものしか見つけていません。
画像:もしかしたら国旗が変わる? | タディの国旗の世界
アンゴラの内戦にソ連がどんな形で関わったのか?
アンゴラ内戦が続くうちに、3派にそれぞれ支援する国が出てきます。これがまた混乱する原因といえます。
MPLA: キューバと東ドイツ(軍事面)、ソ連(経済面)
FNLA: フランスとザイール
UNITA: アメリカと南アフリカ
アンゴラ独立宣言をしたのがMPLA主導ということもあって、FNLAとUNITAが反MPLAで同盟を結びました。
当時は米ソ冷戦時代でした。
アンゴラ内戦は米ソの代理戦争のような一面もありました。
武器を売りたいがために生かさず殺さず的に内戦を長引かせようという意図もあったのかもしれません。
ソ連とキューバの支援を受けていたMPLAは、1976年に一度はFNLAとUNITAの拠点を陥落させました。
その後社会主義政策を推進します。
カビンダ飛地の石油など産業の国有化政策を行ないました。
更にFNLAを支援していたフランス及びザイールと国交を正常化したため、FNLAは1980年代には弱体化します。
一方、UNITAはゲリラ化し、一時は勢力を拡大して内戦は泥沼化します。
しかし支援国のキューバと南アフリカは、1988年に南アフリカ軍がアンゴラとキューバの連合軍に敗北したのをきっかけに交渉してお互いに条件付きで撤退しました。
このころ東西冷戦が大きく変わっていて、ついに1991年にソ連が崩壊しました。
それと前後して1990年にMPLAは社会主義路線を放棄して、翌年に複数政党制となります。
さらに1992年には憲法改正を行って、国名をアンゴラ共和国に変更しました。
この時点で支援とは違った形でソ連がアンゴラの政権に影響を与えたとも見受けられました。
この頃、なんとポルトガルが仲介してMPLAとUNITAが和平協定に調印しました。
その後もまた内戦になったり、1994年には南アフリカのネルソン・マンデラ大統領によって和平協定を進めたり、国連の仲介でルスカ合意が締結された・・・と思ったら密輸ダイヤモンドをめぐって再び紛争になったり。
こんな感じでアンゴラ政府(実質MLPA)とUNITAは、何度も紛争と停戦を繰り返しました。
そして、ようやく27年にもおよぶ内戦に終わりを告げる時が来ました。
UNITAのトップのサヴィンヒ議長が戦死したのです。
ただこれは暗殺ではないかとも言われています。
アンゴラの今後の課題は?
アンゴラでは、ダイヤモンドや石油が採れます。そのため、内戦終結後は経済は良い方向へ向かっています。
なまじ豊富な資源があるために政治の腐敗の心配と、全土に埋まっているおびただしい数の地雷の撤去が課題となっています。
MPLA、UNITA、FNLAはそれぞれ政党として現在も存在しています。
Special Thanks : 参考記事・文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A9https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97
片山正人『現代アフリカの悲劇』